戦後・被爆80歴史的任務を果たしましょう


 日本宗平協は1962年4月の結成から63年を迎えました。創立以来今日まで、「平和の祈りを行動の波へ」と全日本宗教平和会議(1947年)で「戦争の勃発する以前に、身命を賭しても、平和護持の運動を起こし、宗教の本領発揮に務むべきであった」との「懺悔の表明」を繰り返すことがないように、宗教者・教団の戦争協力・加担の責任の自覚とその反省にたち、「信教の自由」「政教分離」を守り、改憲阻止、核兵器のない平和で公正な世界の実現のための諸行動に宗教、信仰の違いをこえ世論と運動をひろげてきました。 
 石破自公政権が「日米同盟強化」の名で、敵基地攻撃能力の保有など大軍拡、日米の指揮・統制の一体化など危険な「戦争国家づくり」の道を推し進め、地域と世界の平和と安定に重大な逆流をつくりだしています。
 被爆・戦後80年の年を迎えました。「憎悪の連鎖」を断ち切ろうと60年余にわたる歩みを続けてきた諸先達の歩みに思いを馳せ、宗教者として人類の生存と文明の存続がかかっている諸課題で役割を発揮していきましょう。
 日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。被爆者の核兵器廃絶の訴えこそが核兵器を使わせない最大の抑止力です。唯一の戦争被爆国である日本政府がやるべきことは、対米追随の戦争加担ではなく、憲法9条に基づく平和外交で戦争を起こさせず、核兵器禁止条約に率先して参加し、世界を「核兵器のない世界」に導くことにあります。未来の戦争抑止のための責任の一端を担い、憲法破壊、金権腐敗、大軍拡をすすめる自公政権に対し、憲法を守り、憲法に基づく平和外交と政治の実現を求める市民と立憲野党の共闘をひろげましょう。

日本宗教者平和協議会方針より

9・23焼津行動 墓参の誓いのつどい


 戦後・被爆80年を迎えた本年、ウクライナ・ガザでの戦争終結は見えず、核兵器の使用も危ぶまれる中、8月の原水爆禁止世界大会には多くの海外代表も参加しました。また、世界大会を前に、日本被団協・日本原水協・原水禁の3団体が共同アピールを提出、そのアピールを生かした取り組みを展開しようと焼津行動か行われました。
 人類史上最初の水爆実験の犠牲者、第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんが亡くなった71年目の秋、命日に当たる9月23日、焼津駅前南口から弘徳院までを、150名の参加者で墓参行進。到着後、弘徳院境内地にて「墓参の誓いのつどい」が行われ、参加者それぞれが愛吉さんの碑前に献花・墓参をしました。
 核兵器の製造・開発・使用などを禁止する「核兵器禁止条約」は、94ヶ国が署名し、73ヶ国(9月23日現在)が批准しています。世界で唯一の戦争被爆国である日本は未だに参加していません。
 1954年第五福竜丸の被災をきっかけに核兵器反対の署名運動は全国へと広がりました。今、被団協のノーベル平和賞の受賞をきっかけに、核兵器廃絶、核兵器禁止条約の批准を日本から発信すべき時なのです。
 午後は、市内にて「焼津のつどい」が開かれ、山本義彦氏(静岡大学名誉教授・第五福竜丸平和協会顧問)が、「被爆80年にあたり、第五福竜丸事件を振り返って」の演題で講演。また、特別発言として、今夏原水爆禁止世界大会に参加した県内高校生たちからの報告がありました。
 主催は「3・1ビキニデー静岡県実行委員会」。この行動を推進するにあたり、実行委員会での検討をかさねて、本年の9・23の集いから来年の被災72年3・1ビキニデーにつなげていきます。

「朝鮮半島出身原爆被害者を追悼する会」に参列して


吉川 徹忍(僧侶)


 被爆から80年の8月2日「朝鮮半島出身原爆被害者を追悼する会」が、留学生会館で開かれた。
 主催は広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協、金鎮湖会長)。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の追悼行事は初めて(在日本大韓民国民団=民団は、毎年8月5日に実施)。被爆者7団体のうち、箕牧・佐久間両被団協理事長をはじめ、在日朝鮮人や市民ら約110名が参列し追悼の思いを込めて挨拶や献花をした。

◆祭事と読経

「チェサ」、尹(ユン)国平寺住職(在日朝鮮仏教徒連盟総務部長)の「朝鮮仏教」読経後、「仏教式追悼法要」を私たち本願寺派僧侶(広島宗平協)3名で勤めた。私たちは、読経中の「表白文」で、過去、仏の教え「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(法句経)に背き、加害に加担した僧侶・教団の反省と慙愧の念を述べた。
 また李実根氏と共に取り組んだ在朝被爆者実態報告講演行事、高暮ダム朝鮮人強制労働犠牲者追悼碑建立、「北朝鮮への食糧支援の会」運動、広島朝鮮学校との交流に触れ、朝鮮民族との友好を願う思いを述べた。

◆金鎮湖(キン・ジノ)会長が「報告」の中で述べた要旨
 朝鮮半島出身者は、日本の植民地支配により生活の糧を求めて、また強制連行等で被爆当時広島市内に約5万3千人が住み、約3万人が犠牲になりました。
 1975年、「広島県朝鮮人被爆者協議会」(李実根会長)を結成。被爆者援護法の制定要求、朝鮮人被爆者の実態究明等を活動方針として定めました。
 李会長(当時)は訴えてきました。アメリカの原爆投下責任と、朝鮮人の被爆や民族差別は日本の侵略・植民地支配なくして生まれなかったと。
 1989年以来、李会長は訪朝(朝鮮民主主義共和国)を重ね、在朝被爆者の存在確認と実態調査を続けました。
 日本政府は在朝被爆者救援に消極的で放置したままです。歴史的過ちの事実を認めず謝罪も補償もありません。住む国によって差別してはなりません。
 1990年、広島市と朝鮮総連、民団の三者で朝鮮半島出身原爆被害者の統一追悼碑が合意され、2001年には協力するとの確認書を調印しましたが、時々の情勢や状況もあり進展がありませんでした。

 私たちは同じ被爆経験を持ち、分断を越えて差別の苦しみを共有し生きてきました。後世に引き継ぐため、統一碑を実現したい。朝被協結成50年の今日、鬼籍に入った方々を追悼し若い世代も含めた同胞、日本の市民と共に未来につなげるように願ってやみません。

◆追悼行事を終えての私の思い―

 日本政府は、核・拉致問題を口実に北朝鮮との国交を閉ざし、戦争責任を果たさず在朝被爆者を置き去りにしている。被爆者が老い亡くなる中、度々李会長と訪朝して交渉した金子哲夫氏は、「人道的立場に立ち、まずは喫緊の課題である医療支援をしてほしい」と述べている。
 追悼式最後に、朝鮮学校の生徒たちを含め若い世代が並び、代表の1人が被爆体験継承の決意を述べた。
 2013年、安倍政権は高校無償化から朝鮮学校を排除した。「法の下の平等」「適正な行政手続き」から違法と言える。国連人種差別撤廃委員会も繰り返し政府に是正勧告をしてきた。「朝鮮学校の排除は国家による『官製ヘイト』であり、その源流は國體思想と自民族中心主義にある」(前川喜平氏、2025年7月13日)。

 「子どもの権利条約」では、エスニック・マイノリティーの子どもたちの母語の使用と文化・宗教を享受する権利が保障されている。
 朝鮮学校の生徒たちは、朝鮮民族の歴史・文化を生き生きと誇りを持って学んでいる。朝鮮学校を支援し交流していくことは、日本の地域や教育現場に異文化尊重、豊かな平和・人権の精神を根づくことでもある。
 未だ政府は侵略・植民地支配の真摯な反省、謝罪・補償の責任を果たしていない。排外主義的民族差別を横行させる背景になっている。今後とも一層、在日朝鮮人・韓国人との友好と信頼を深めていきたい。