3・1墓前祭の意義―宗平協の伴走者として
3・1墓前祭の意義は何か…実は私は日本宗平協の会員ではないわけです。信仰を求めていたという意味では求道者といえると思いますが、同時に社会主義の探究者でもありました。その間をさまよっていました。やがて科学的者社会主義に確信を持つようになりまして、日本共産党に入党いたしました。私は日本宗平協の会員ではないわけですが、日本宗平協の結成されましたのが1962年、その1年前に、宗教青年平和協議会(宗青協)という組織が生まれました。私はこれに参加しておりました。墓前祭にも宗青協の一員として参加したのです。
宗平協の、いわば伴走者としての、第1回の墓前祭以来、毎年この墓前祭に参列し、久保山さんの墓前で核兵器廃絶を誓う、そして、その日に集まる全国各地からの宗教平和活動家の皆さんと交流する、これがいわば年中行事というようになっておりました。(中略)ここに鈴木徹衆さんが書かれたものを引用しました。1976年3月の「宗教と平和」128号に載った文書です。「墓前祭は、原水爆禁止運動のために、宗教者と広範な平和民主的勢力の連帯の一典型であり、さらに宗教者故に広く市民の支持を深めたものとして、私たちの独自の平和運動のあり方を示している。」私はここにですね、墓前祭の意義が端的に述べられていると思います。
日隈威徳氏(故人)
(2014年、2月28日 宗教者平和運動交流集会in焼津での講演より)
日本被団協ノーベル平和賞受賞 ノルウェー同行記(終)
日本宗平協事務局次長
日蓮宗富士山大乗坊住職 小野 恭敬
◆ノルウェー国会での国会議員への被爆証言
グランドホテルからツアープログラムに戻り、国会議事堂におけるノルウェーの国会議員に向けての被爆証言会の撮影を行いました。広島県被団協理事長の佐久間邦彦氏と広島で4歳の時被爆された西本多美子さんがご自身の被爆体験を語られました。特に国を代表する議員の皆さんには、ロシアによるウクライナ戦争、イスラエルによるパレスチナ・ガザへの侵攻等に核兵器使用の威嚇がされ、世界的な危機的な状況であることを強く訴えられ、核の脅しを使った戦争行為は絶対に許されるものではないことを強調されていました。
◆ノーベル平和賞受賞式
パブリックビューイング
ノルウェー国会での被爆証言が終了し、参加者全員でオスロ図書館に移動し、オスロ市民の皆さんと授賞式のパブリックビューイングを視聴しました。受賞者がオスロ市庁舎に入ると大きな拍手がおき、授賞式の様子を見つめながら、今までの苦労を思い起こしているようでした。被団協の田中煕巳代表委員のスピーチの後は、全員がスタンディングオベーションとなり、拍手が鳴りやむことはありませんでした。被爆者の方々は目に涙を浮かべ、受賞の喜びを共有することができました。
授賞式は中継で見守った
感動的な祝典であった。パブリックビューイングでオスロ市民の方々と共に見守った。田中煕巳代表の受賞スピーチの後は、こちらの会場でも皆が自然と起立し、拍手喝采となった。
田中煕巳さんの受賞スピーチ
授賞式会場となるオスロ市庁舎へ車いすで入場した田中煕巳さん(92)が、21分間のスピーチでは終始起立し、自若泰然とした立派な姿であった。私らは近隣のホール内でパブリックビューイングにて被爆者の方々と見守った。 スピーチ中盤、これまでの手先の原稿に走らせていた視線を、スッと上に持ち上げ田中さんは正面を見据えてこう述べたのである。「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知り頂きたい」
私も田中煕巳さんのスピーチを入手した。確かに上記文書は元原稿になく、その場のアドリブで発言したものであった。 日本政府は原爆犠牲者に補償していないことを2度言及したのである。オスロに駐在している各国の大使が出席し、世界中が注目する中での、長崎出身の一翁の渾身パフォーマンスである。
私は翌日、受賞スピーチの英語での同時通訳バージョンの録画をみた。この原稿にない部分をきちんと英語で訳出できていたかを確認したかったのだが、果たして完璧に英語でも伝えられており、ホッとした。田中煕巳さんの強い意志のこもったメッセージが世界に伝わったのです。
国家補償が戦争抑止につながる
日本被団協求めている一つに「国家補償」があります。原爆投下したアメリカに責任があるのは自明の上で、日本が戦争を遂行したのだから、自国民の犠牲者に対して保証してくださいという理論です。
これは「日本批判だ!」とネット上で喧喧囂囂(けんけんごうごう)するようなレベルの低い話ではない。戦争犠牲者の国家補償を行わせる、するとどうなるか。軍事の恩給だけで60兆円ともいわれる補償が、一般国民の犠牲者向けと合わて倍増になったら、多くの国家は財政破綻する。
軍人、一般人を無差別に殺戮する何千発もの核兵器が配備されている現代ではたとえ終戦時に国家が存続できたしても、その後の国家補償で国民向け何百兆円もの支出が余儀なくされれば、国家破綻は避けられないでしょう。よって国家は戦争できない。開戦したら生命が脅かされ、補償金捻出のため、将来にわたって多額の税金を払うことになる国民は、全力で自国の戦争を阻止するでしょう。要するに、それは紛れもない戦争抑止です。日本被団協の真の狙いはそこにあると私は考えています。
2度目のアドリブは
米国に向けたもの。
受賞スピーチの後、私は被爆2世の方々と議論しました。
田中煕巳さんのアドリブ部分に対して長崎の方からは「私は田中煕巳さんが繰り返した言葉は、2度目は、アメリカに向けて言ったものだと信じている」とのコメントが飛び出てきました。私はそれを聞いてとても深く考えさせられました。被爆者は「原爆犠牲者だが生き残った人」と表現されます。 「生き残った人」の身近に、周りには夥しい人数の「生き残れなかった人々」がいて、原爆で家族を失った方々にとっては加害者であるアメリカへ対する感情は一生消えることはありません。被爆者支援を志す者としては、その感情をきちんと土台に据え置いた上で、未来を見据えていかねばならないと痛感しました。次回筆者が田中煕巳さんと話す機会があれば、同じく長崎出身の2世の方のこのコメントを伝えて、米国市民による原爆犠牲者追悼並びに被爆者支援基金の創設働きかけについて意見を交わしたいと思います。
12月10日(火)
夕方からの活動
◆ノーベル平和センター主催 トーチパレード
平和展の内覧会が終了する17時30分頃には、多くのオスロ市民がノーベル平和センターの周囲に集まってきました。平和センターの前にステージが組まれ、その前ではパレ―ドに使うトーチが配られ始めていました。とても寒いので平和センターの中で待機し、イベントが始まる際にステージ前にはイスが用意され、ツアーの被爆者の皆さんはステージ前に着席をしてオープニングを見学することができました。ノルウェーの著名な歌手の歌や地元の名士が挨拶を行い、2017年ノーベル平和賞を受賞したICANも事務局長のメリッサパーク氏が登壇して核廃絶をステージでアピール。いよいよ被爆者の皆さんもバナーをもって先頭に立ちパレー―ドがスタートしました。
オスロ市民も参加しトーチパレードは何百メートルにもつながり、「No more Hiroshima No more Nagasaki」のコールを行いながら、ゴールのグランドホテルを目指しました。
◆グランドホテルの
ベランダに3人が登場
ゴール地点のグランドホテルの2階のベランダから授賞式に登壇した、田中熙巳代表と箕牧智之さん、田中重光さんが登場すると集まった市民から大きな歓声が上がりました。被団協のメンバーも「No more Hiroshima No more Nagasaki」のコールを行ない、3名の方も応えてくれていたようです。
この後、ツアーの一行はノーベル平和センターに戻り平和委員会主催の夕食会で、地域の方や高校生平和大使などと交流を深めることができました。
原爆投下80年を迎えて
今年はは原爆投下80年の節目である。立正平和の会の一員として私は広島・長崎に赴き、原爆犠牲者の追悼を行うつもりだ。また同年は核兵器禁止条約の締約国会議がニューヨークで開催される。唯一の戦争被爆国であるにもかかわらず日本政府が重い腰を上げないのであれば、私たちが代わりに行って核兵器禁止の切実な思いを届けよう。きっと被爆者の方々も現地に乗り込むはずだ。さらに来年には、5年に一度開催の核兵器不拡散条約(NPT)の再検討会議が海外で予定されている。犠牲者も含めた被爆者へのノーベル平和賞受賞の機運を止めてはいけないと思う。
短いオスロ滞在であったが、お陰様で現地の文化や人々と触れ合い、また被爆関係者の方々とも直接語り合い大変学びの多い時間を過ごすことができた。この経験を今後の活動に活かし、さらに成長していきたい。このたびのノルウェー行きを支援してくださった日本宗平協、日蓮宗檀信徒の皆様方に紙面を借りて厚く御礼を申し上げたい。
2025年・3・11「非核の火」集会式典と12日の現地調査参加のご案内
2025年3月11日は、東日本大震災、福島第一原発事故から14年目を迎えます。今年も楢葉町宝鏡寺境内で「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ」を結ぶ『非核の火』の前で「核兵器廃絶を求める原発被災地集会」が執り行われます。また、翌日の現地調査について、同乗し、ご案内役の伊東達也さんは、「津波被害地の浪江の津島や放射能問題で深刻になっていると同時に関心の高い『あっ』と思うような地域をご案内する」とおっしゃっていましたので、是非ご期待下さい。
3・11集会の式典、集会の成功と学習会。翌日の現地調査で見聞をひろげる調査を行います。是非ご参加下さい。参加ご希望の方は日本宗平協事務所、事務局までご連絡下さい。
3月11日、核兵器廃絶を求める原発被災地集会では、平和の祈りの中で、日本宗平協の代表委員の山崎龍明師を導師に浄土真宗の表白と読経を行います。また、「非核の火」の歌の作詞・作曲した鈴木君代師真宗大谷派(シングガーソングライター)も弾き語りで歌を披露します。多くの皆さんご参加を期待します。
=交通機関の利用について=
〇品川駅発スーパーひたち 時刻 午前8時43分
〇東京駅発 〃 時刻 午前8時52分
いわき駅着 時刻 午前11時23分
■集合ーいわき駅北口(駐車場)⇒宝鏡寺行き バス 出発 午前11時30分
バス利用者7,000円(バス代、弁当代、被災者支援)現地参加者4,000円
11日、12日参加の方は10,000円(両日のバス代、弁当代、被災者支援)
夕食は、いわき駅近くで考えています。
■11日の宿泊ホテル(ホテルフロンティアいわき)0246-25-1117
素泊まり(個室)7,300円・朝食600円(合計7,900円)ホテル宿泊申し込みは事務局で行います。(希望者は事務局へ)
■12日は、朝9時ホテル前からバスが出発します。
日帰り、宿泊とも事務局(小山)宛下記の携帯に連絡下さい。
参加申し込み希望の方は、2月20日までに事務局へ申し込んで下さい。
■事務局(小山)電話 090-6797-7723⇒ファクス03-3378-4985、メールでも可能です。